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クロストーク「上橋菜穂子×高林純示」レポートvol.2 “作家と研究者の共通点”

塩尻班

クロストーク「上橋菜穂子×高林純示」レポートvol.2 “作家と研究者の共通点”

クロストーク「上橋菜穂子×高林純示」レポートvol.2 “作家と研究者の共通点”

2025年4月17日

横浜市立大学 みなとみらいサテライトキャンパス

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塩尻 かおり

[上記写真] 主催した「植物気候フィードバック」の関係者、聴講した11名の高校生でゲストのお二人を囲んで(2024年11月23日 横浜市立大学みなとみらいサテライトキャンパスにて)

作家・上橋菜穂子さんの最新作『香君』は、植物や昆虫が「香り」で繋がり、育んでいる生態系、それを感知できる15歳の少女アイシャが奮闘する物語です。そして、この作品にインスパイアを与えた一人、化学生態学の専門家であ髙林純示さんと、上橋さんによる対談イベントの続報をお届けします。

 

「植物気候フィードバック」の研究現場で大活躍の“アイシャ”を紹介したVol.1はこちら。

https://www.plant-climate-feedback.com/symposium-event/2024-1223

 

お二人の対談を聴講した高校生からは多くの質問や感想が寄せられ、対談内容はより広く、深いものに。『香君』の主人公アイシャと同世代である高校生は、何を感じ、何を思ったのでしょうか。彼らの声と共に、イベントを振り返ります(高校生のコメントは“”をつけて引用し、対談内容※は敬称略で話者を明示します)。


※対談内容の全文はこちら(外部サイトに移動します) https://bunshun.jp/articles/-/76936

積極的に質問をする高校生たち
積極的に質問をする高校生たち

作家と研究者、意外な共通点


高校生から寄せられた感想で一番多かったのは、やはりお二人の人生観や仕事観について。対談を通じて、職種を越えた共通点が見えてきました。


一人一人の質問に丁寧に答える上橋さん
一人一人の質問に丁寧に答える上橋さん

上橋先生と髙林先生は対極と言っていいほど、全く別の分野で活躍されているのに、上橋先生は物語の構想を長い間じっくりと温め続け、髙林先生は何かの現象に対し仮説を立てては、それをより完全なものにしていく、どこか似ているプロセスでした。研究者と作家の共通点を発見した気持ちになり、高校では、はっきりと分かれている理系も文系も、突き詰めれば同じところに行き着くのかと思いました

 

“お二人が経験されてきたことすべてが、物語や研究につながっていることを知りました。上橋さんの「台詞や場面がふとした瞬間に降りてくる」という話に対し、髙林さんが「お風呂に入っているときとかに、あぁ、こういうことか」と考えが浮かぶことがあるというお話をされていて。一方は科学者、一方は作家なのに、アイデアの閃き方が似ているのは、とても面白いと思いました”

 

 そのトーク内容がこちら。聞き手は髙林さんです。



前半は髙林さんが上橋さんに質問し、後半で攻守を交替
前半は髙林さんが上橋さんに質問し、後半で攻守を交替
 

髙林 上橋先生の作品からは推理小説のテイストも感じるんです。『香君』でも『獣の奏者』や. 『鹿の王』でも、主人公が1を聞いて100を知るみたいな推理の場面がありますよね。そのロジックがすごく正確かつキレキレで、「ああ、そういうことね」と読んでいて気持ちがいい。そうした会話の流れも書きながら自然と見えてくるのでしょうか。

 

上橋 それも、なんとも説明しがたいことなのですが、私自身、自分がどうやって、ああいう会話の流れを思いついているのかを知りたいんです(笑)。本当に、自分でもよくわからないんですよ、どうやって思いついているのか。なので、後から、自分が書いたものを読むたびに、誰が書いたんだろう、これ? と思います(笑)。ただ、物語を書いているときは、日常生活の中で、何をしていても、頭のどこかに物語があるせいか、ご飯を作っている時や、お皿を洗っている時などに、頭の中に、ふいにある光景が浮かんできたりするんです。『香君』の最初の方で、アイシャがマシュウに「……あなたは、リタラン?」と聞くシーンがあるんですが、あれも、お皿を洗っているときか何か、家事をしていたときに、その光景が頭に浮かび、アイシャの「あなたは、リタラン?」という声が聞こえて、リタランって何? と思いました(笑)。

 

髙林 何となくわかります。研究でも、お風呂で頭を洗っている時に「あ、こうなんかな?」とふっと謎が解けるというか、合点がいったりすることがあります。潜在意識のなかで考え続けているからなのでしょうね。

 

上橋 あ、やはり、先生も、そういうこと、あるのですね! ずっと考え続けて頭の中にあった何かが、いきなり明確な何かになるというか、先に何かが閃き、そのあと、なんでそう思ったのかを考える感じで、私の場合、アイシャの声が聞こえて、リタランとは何かを考えたとき、自分の中にあるマシュウのイメージの中にあったものが見えてきて、話が動いていきました。


 

上橋さんの物語が生まれる瞬間や、物語の紡ぎ方に驚いた人も多く、こんな感想も。

 

“印象に残っているのは、上橋先生の「普段、生活している中で物語の世界が見えてくる」というお話です。先生はやはり“本の神様”に愛された方なんだなと思いました”

 

“上橋先生の「書きあげた文章を読むと他人が書いたものを読んでいる気がする」というお話がすごく印象的でした”

 

“私は小学生の頃から上橋先生の『獣の奏者』や『精霊の守り人』シリーズが大好きです。先生の作品を読んでいると、その世界の社会体制や医療や農業といった科学、産業の設定が詳しく設定されていて、現実の世界のようにのめり込んでしまいます。どのようにしてその世界観を構築しているのかずっと気になっていたのですが、「急に浮かんでくる」と聞いて驚きました。また、農業や医療などさまざまな分野に精通されていることもよく分かり、先生の小説の面白さや臨場感は、膨大な知識や経験によるものだと実感しました”



質疑応答の様子(直前のコメントとの関連性はありません、以下同)
質疑応答の様子(直前のコメントとの関連性はありません、以下同)

「これがあるから研究はやめられない」


対談では、研究や創作の楽しさ、醍醐味についても存分に語られました。ここでもお二人の間で“ある感覚”が似ていると話題に。ここからは上橋さんが質問を投げかけていきました。


 

上橋 髙林先生はなぜ学者を目指されたのですか? 私、大学で修士課程から博士課程に進もうと思ったとき、面接をしてくださった恩師から、「博士課程まで行ってしまうと、その先の生活が不安定になるかもしれないわよ」と心配していただいたことがあったんです。

理科系の場合も、研究にはものすごく時間がかかるうえに、成果が出るかどうかもわからないですよね。それでも学者を続けていこうと決心されたのは、やはり先生の中に「研究が好き」という気持ちがおありだったからですか?

 

髙林 おっしゃるとおり、好きだという気持ちがベースにあります。ただ、生態学の研究では、真実はいつもひとつというわけではなく、また、真実にたどり着けるかどうかもわからないので、いわばギャンブルで(笑)、やってみないとわかりません。でも「だいたいわかっていることをやっても面白くない」わけです。

 

上橋 あ、なるほど! それは確かに! そういう「わかっていないこと」を探る中で「これがあるから研究はやめられない」と感じられたことはございました?

 

髙林 研究の一歩一歩がすごく面白いですね。上橋先生は長編作家でいらっしゃるけど、私は作家に例えるなら、短編小説家なんですね。データセットが登場人物だとすると、わりと少ないけれど、小さくても新しい視点が示せているような論文が多いです。日本庭園の飛び石を思い浮かべていただきたいのですが、その石のひとつひとつが短い論文。跳ぶ前に庭園の岸から見えていた庭園全体、あるいは対岸の景色と、飛び石を跳んで行って、池の真ん中から改めて見るのとでは、目に入る景色がぜんぜん違ってきます。小さな論文を積み重ねていって変化していく景色とか、積み重ねていった先の対岸にある、かおりの生態系のような面白い世界へ近づいていく楽しみが原動力なのかもしれません。

 

上橋 うわ~、それは素敵な例えですね!

 

髙林 研究において、いっぺんに対岸に跳ぶような跳躍力をもっている研究者は普通いません。最初に立っていた岸辺から池の真ん中へと、小っちゃい飛び石を作りながら渡っていくように研究を進めます。もちろん「すごくいい飛び石ができちゃった」という時もあれば「これはちょっとヤバいな」という飛び石もありますけれども(笑)。

 

上橋 跳ぶ前の段階で、頭の中で「向こう側に見える景色はこうなのでは」という仮説を立てていらっしゃいますか?

 

髙林 ぼんやりとはあります。けれども、跳んでいくうちに「別の面白い景色もあるかも?」となってくる場合もあります。例えば「害虫に食べられている植物が、その害虫の天敵に助けを求める」という現象が対岸にぼんやりと見えているとします。それで飛び石を跳んでいくと、景色がだんだん確かになってくる。さらに飛び石を跳んでいくと「植物間コミュニケーション」という新たな景色も拓けてくるんですね。なので、最初の方向にも跳ぶけど、枝ができるように、新しい景色が見えたらそっちにも跳ぶというような感じですね。

 

上橋 先生、それ、私が物語を書いている時と似ているかもしれません。私も頭の中には物語全体のイメージが何となくあるんです。展開や結末などの具体的なものではなくて、イメージの塊のようなものです。あるとき、ふいに、とても印象的なイメージが頭の中に浮かんで、ああ、書きたいな、と思ったときに物語が生まれてくるんですが、プロットも何も作らずに、最初の一行目から書き始めるので、そこから先は先生がおっしゃったように飛び石をひとつずつ跳んでいくんです。ひとつの飛び石の上に立つと、次の飛び石が見えてくるんですよ。そうやって書いていくうちに、「あ、これは違う。あれ? そうか、こうなるんだ」と、次第に見えてくる景色が明確になって、最終的に作品として出来上がるんです。無数にあった、ぼんやりと見えていた道がどんどん定まっていくというか。

 

髙林 なるほど。なんかすごく似ていますね。そういうところが、研究や創作の楽しさ、醍醐味なのかもしれないですね。


 

髙林さんが研究の道のりを「飛び石」に例えたお話は、参加者の心にも深く刻まれたようです。

 

“お二人の研究、あるいは作家活動への「飛び石を渡るうち、見えてくる景色が変わる」という感覚は(まだ体験したことはないですが)非常に腑に落ちました。アカデミアを志す私にとって、一生の糧となるお話でした”

 

“髙林先生が「研究とは、飛び石を渡っているようなもの」と仰って、上橋先生も「似た感覚を感じる」と。そのお二人の会話から、溢れ出る好奇心のままに、一つ一つの努力を重ねられてきたことが伝わってきました。好きなことを突き詰めることは、とても難しいことだと思うと同時に、楽しむことで、継続する道が開けるのではないかと思いました。疑問が尽きることなく生まれることが、活力になり、お二人のような成功体験を創り出すための、ステップになると思います”



途切れることなく質問が寄せられました
途切れることなく質問が寄せられました

 高校生からは、他にも、植物に対する新たな見方や、植物気候フィードバックの研究、このイベントを通じて得られた交流についても感想が寄せられました。続きはVol.3で、再び対談内容も交えてリポートします。



取材・文:堀川晃菜(サイエンスライター)/写真:角守裕二

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