クロストーク「上橋菜穂子×高林純示」レポートvol.3 “アイシャ” 世代が抱いた感動
塩尻班

クロストーク「上橋菜穂子×高林純示」レポートvol.3 “アイシャ” 世代が抱いた感動


2025年4月17日

横浜市立大学 みなとみらいサテライトキャンパス

塩尻 かおり
[上記写真] 2024年11月23日 横浜市立大学みなとみらいサテライトキャンパスにて
作家・上橋菜穂子さんと、京都大学生態学研究センター髙林純示名誉教授のクロストークを振 り返る記事も、今回がいよいよ最終回。2024年11月、植物気候フィードバックの特別企画として開催されたこのイベントには、全国から11名の高校生が参加しました。対談のきっかけとなった上橋さんの作品、『香君』の主人公アイシャと同世代の若者たちです。
このイベントを通じて、彼らは何を感じ、考えたのか──。高校生に実施したアンケートをもとに、イベントを振り返ります。(高校生のコメントは“”をつけて引用し、対談内容※は敬称略で話者を明示します)。
※対談内容の全文はこちら(外部サイトに移動します)
https://bunshun.jp/articles/-/76936
◎これまでのレポートはこちら Vol.1 “アイシャ”の正体
https://www.plant-climate-feedback.com/symposium-event/2024-1223
Vol.2 作家と研究者の共通点
https://www.plant-climate-feedback.com/symposium-event/2025-0417
知られざる植物の力に、目を見開く
Vol.1でお伝えしたように、対談の前には植物気候フィードバックの領域代表 佐竹暁子さん(九州大学)、そして領域メンバーの関本奏子さん(横浜市立大学)によるレクチャーがありました。佐竹さんの「植物が、揮発性有機化合物(BVOC)を放出し、それを介して気候を変えるフィードバック効果を発揮している」という話に、驚きを持って接した参加者も少なくありません。
“私は、生態学の教授である髙林先生と上橋さんの対談を聞くことで、上橋さんの作品の中で多く書かれる人間と自然界の関わりについて理解を深められるのではと思って参加しました。今回の対談では上橋さんの『香君』で書かれた植物の匂いを通じたコミュニケーションに焦点が当てられており、なかでも一段と驚いたのは、植物の匂いのコミュニケーションは動物だけでなく、地球にも影響を与えているということでした。植物の地球に対する作用は、今まで光合成や呼吸などとばかり考えていたのですが、匂いの素であるBVOCが雲を形成する核となることで、気候に影響することを知り、私達の感知可能な領域の外にある生態への理解が、私達の暮らしを豊かにするのではないかという希望と共に、こうした生態系の破壊により、知らず知らずに悪影響を被ってしまう危険もあると感じ、生態系の保存の大切さを実感しました”
すでに生物や植物の分野を志している人にも、こんな気づきがありました。
“私は大学の進路を考えるとき、自分の好きな生物や植物の研究ができる所がいいと考えていました。しかし今回、植物気候フィードバックの研究を見て、さまざまな研究の分野が絡みあって一つのプロジェクトが進められていることを知りました。研究の先に、さらに新しい発見、研究があることを知り、それらの可能性にワクワクしました”
レクチャーでは、横浜市立大学の関本さんによる“アイシャ”のデモンストレーションもありました。『香君』を読んで、さらに、この実験装置の仕事ぶりを間近で目にすると、その名で呼ばれる理由にも納得です(詳しくはVol.1をご覧ください!)。その上で、上橋さんと髙林さんの対談に耳を傾けたことで、まるで『香君』の世界と、現実世界を行き来するように、紡がれた思いもありました。
“想像の世界から飛び出してきたアイシャの実演もさることながら、とりわけ興味を惹かれたのが「生物によって生命の時間軸が違う」というお話でした。理解しきれないながらも心に響く深いテーマでした。髙林先生のご研究は全く知らない世界でしたが、植物がまるで意志を持っているかのように、外部に発信しているというお話に引き込まれ、目が開かれる思いでした”

植物も、研究もコミュニケーションが大事!
私たち人間が、直接感知することができないだけで、実はとっても“おしゃべり” な植物たち。対談では、さまざまな研究成果から見えてきた植物の巧みな姿がたびた び話題に上り、会場の皆さんも引き込まれていました。
“特に印象に残ったのは、種が違う植物が他の植物が出す匂いを「立ち聞き」するというものです。まず、全く別種の植物同士でコミュニケーションが成立するのに驚きました。その様子を説明する際、髙林先生が、いかにも人間のことのように「立ち聞き」という単語を使っていたことにも驚きました。この別種間での植物の匂いを介するやりとりの話は、上橋先生も『香君』の中でまるで人間同士が話しているかのように描写されていましたが、植物がまるで人間のような社会的なやりとりをしているように自分たちを錯覚させるくらい高度な匂いのコミュニケーションをしていることは、とても興味深かったです”
植物の「立ち聞き」とは一体どういうことなのでしょうか。抜粋してご紹介します。

上橋 もうひとつ、ぜひ先生にお伺いしたいことがありまして。塩尻かおり先生が『かおりの生態学』という本で、セージブラシの研究についてお書きになっていますね。血縁がある個体同士のかおりのやり取りは、血縁関係にないものよりもコミュニケーションしやすい、と。それは遺伝子の観点からは納得がいくんです。でも、一方で、髙林先生と塩尻先生が出演されていたNHKスペシャル『超・進化論』という番組では、確かマツとカシ――つまり、血縁どころか種類さえ違う植物のコミュニケーションを紹介されていて。
髙林 イスラエルの研究ですね。マツの木の両脇に、黒い布で覆って光合成できないようにしたカシの木を植えるという。
上橋 そうです、そうです。土の中に作った仕掛けが重要で、片方のカシの木はマツとの間をメッシュで仕切って、根は通れないけれど菌糸は伸ばせる状態にする。もう片方は、マツとカシの間をプラスチックの板でバシッと遮ってしまう。
髙林 その状態で半年間置くんですよね。
上橋 ええ。黒布に覆われたカシの木は光合成できずに枯れるはずで、実際プラスチックでマツとの間を仕切られていたカシの木は枯れてしまったけれど、なんと、メッシュのほうは生きていた。マツの木の根から菌糸が伸びて、カシの木に養分を与えていた、と。マツとカシ、別の種類の植物ですよね。こういうことが自然界で行われているのなら、異なる種類の植物とも助け合うような、多様で広いネットワークが、この世界には存在しているのかもしれませんね。
私たち「人」の物の見方で考えていては、なかなか気づくことができないことが、この世界には存在しているのでしょうね。
髙林 おっしゃるとおりですね。我々は目が2つ、心臓は1個、肺は一対といった一定数の機能分化したユニットからできている生物です。対する植物は、葉と枝のモジュールの組み合わせでできた生物です。ユニット生物がモジュール生物を直感的に理解するのは基本的に無理なんです。上橋先生の描かれるファンタジーには「異世界」というキーワードがよく出てきますよね。実際この世には、我々にはわからない「植物の世界」があるのだろうと。その世界では、植物の同種もしくは異種間でコミュニケーションをやっているけれど、私たち人間からすると、植物は静かに佇んでいるだけにしか見えない。
上橋 そのお言葉がもつ意味は、とても深いですね。「ユニット生物がモジュール生物を直感的に理解するのは基本的に無理」であるがゆえに、この世には私たちにはわからない「植物の世界」がある……。私たちは「人間には理解しがたくて、想像もつかないものがこの世界にはあるのかもしれない」と常に心に置いていなければ、ですね。
髙林 そうですね。しかし、全然違う世界ではあるけれども、概念としては人間も植物も通じ合うところがあります。例えば助け合うとか、だますとか、立ち聞きするといった相互作用の概念です。植物間コミュニケーションってもともとは“立ち聞き”だったと考えられてます。お隣さんが出した「害虫に食われているから助けて」という「におい=声」を隣の植物が立ち聞きして、「ヤバそうだから早めに対策しておこう」と防御モードに入る。これがご近所さんではなく血縁関係だと、親が子を保護するような、より複雑なコミュニケーションが発生します。
さらに、高校生からの質問をきっかけに、植物同士のやり取りを「盗み聞き」する昆虫についても、話は及びました。

高校生 『香君』では、オアレ稲が出すにおいをバッタが“盗み聞き”して異世界から飛んでくる描写がありますよね。
髙林 そうですね。異世界から、というのが興味深い描写です。現実においても、同時に並行して存在している我々の世界と、それと重なる植物の世界。その異世界の間を行ったり来たりできるのが、例えば昆虫なんですね。『香君』の場合は、オアレ稲が本来伝えたい相手ではなく、バッタがそれを盗み聞きした。
高校生 においを盗み聞きするというのは、実際の自然界でも行われていることなんでしょうか?
髙林 それを示す研究論文はわりとあります。情報の出し手と受け手の両方が得をする相互作用が進化するというのが大前提なんだけれども、そのような相互作用が成立すると、その情報を盗み聞きすることで一方的に得をするという、搾取系の相互作用も進化してくるわけです。本来の発信者ではないのに相手を騙す「オレオレ詐欺」とかね、人間がやっていることは、植物と昆虫、あるいは昆虫間でも割と行われているんですよ。
高校生 人間チックな行為でいうと、さっきお話しされていたマツとカシの木の話は「贈与の関係」だなと思いました。今は相手からの見返りはもらわず、取りあえず死にそうやから助けると。その恩を覚えておいていつか助けてくれるというのは植物でもあるんでしょうか?
髙林 生物は基本的に「自分の遺伝子を残す」ことが進化の原動力なんです。植物もそうです。だから、自分と違う遺伝子セットを持つ異種の植物個体のために、自分を犠牲にして何かをするというのはちょっと考えにくい。ただ、見返りがあると仮定すれば、贈与の関係も起こり得ますよね。今の質問は、これまで注目されてこなかった非常に面白い視点だと思います。今後の植物間コミュニケーション研究において、とても重要なサジェスチョンになると思いますね。
上橋 今後、研究されていくと、これまで捉えきれていなかった筋道や、意外な意味が見えてくるのかもしれませんね。高校生のみなさん、すごいなあ。すごくいい質問をありがとうございます。

“対談の中で私が特に興味深いと思ったのは、人間の感情に基づく共助と似たようなシステムが、植物間、あるいは植物と他の生物の間でも起こっていることです。それが想像以上で、驚きました。人間社会と生物間の相互作用、この不思議な類比構造には、やはり生命の神秘なるものを感じざるを得ません”
“他の参加者から 「植物が今は助けても後で助けてもらうっていうようなGive and Takeをしているのではないか」という質問があり、「確かに」と思いました。このようにして、人との対話によってさらに新たな疑問が生まれ、研究が進んでいくんだということも、体感できました”

「超かっこいい」大人と、同世代からの刺激
高校生の皆さんは、ゲストのお二方はもちろん、同世代の参加者からも、良い刺激や影響を受けたようです。会場では、植物に負けないほど、活発なコミュニケーションが広がっていきました。その喜びが伝わってくるコメントを最後にご紹介します。
“対談を聞いて「二人とも超かっこいいな」と思いました。上橋先生はさまざまな分野に興味を持ち、疑問を抱き、考察し、それを自分の頭の中の棚にきちんと整理されている。そして必要なときに、その棚がパッと開かれて、その情報が取り出され、物語の中に織り込まれていく。だからこそ、上橋先生の作品、どれもすべてが、深いものになっているのだということが分かりました。
また、髙林さんが、かつてスピードスケートの選手だったことも、オランダを留学先に選ぶ一因になったというエピソードも印象に残っています。逆にその選択をしていなければ、いまの研究をされていなかったかもしれないので、人生の面白さを感じました。これから私にもさまざまな人生の岐路があると思いますが、気の向くままにいったとしても、楽しいことが待っているのかもと前向きな気持ちになりました”
若い頃はスピードスケートの選手だった髙林さん。寄生バチの行動生態研究の大家に師事するため留学したオランダは、スピードスケートの強豪国としても知られています。アメリカに渡る若手研究者が多い中、指導教官の後押しもあり、オランダに行ったことで、ハダニの研究をすることに。その研究は、ハダニに吸汁された葉が「助けて」というかおりを出して、ハダニの天敵である肉食性のチリカブリダニを誘引する現象を詳しく調べるというものでした。
“上橋先生と髙林先生のクロストークを聞いて、普段考えることの無い視点に触れることができました。また、他の高校生と交流する時間では、個々の挑戦や活動について聞き、同世代の方々から多くの刺激を受けました。特にボランティア活動に力を入れている方のお話が印象的でした。しっかりと将来を見据えていて、自分の言葉で自分の考えやプランを説明している姿、尊敬しました。これをきっかけに私自身も今まで挑戦したことのない分野に積極的に挑戦していきたいと思います。本当にありがとうございました”
植物や虫たちが匂いを介してつながる世界。「植物化学コミュニケーション」という一つのテーマをきっかけに文 学作品『香君』が生まれ、さらに、普段は違う世界で生きる作家・研究者・高校生という人々のつながりが生まれました。イベント報告はここまでとなりますが、今後も「植物の驚きの世界」をこの媒体で届けていきたいと思います。最新の研究成果にも、ぜひご注目ください!
